「金持商人一枚起請文」 中井源左衛門
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「長者に二代なし」と言われた江戸時代、その多くは一代で没落した。その一方で、老舗として何代も続いた店も少なくない。なぜ、そのような違いがでたのか。金儲けがうまかったからか、それとも金儲けのためには手段を選ばなかったからなのかー。
その疑問を解いてくれるのが、江戸時代の豪商である。なかでも、伊勢商人とならび称された近江商人の生き方は、私たちに大きな示唆を与えてくれる。
代表的な近江商人の足跡をたどり、陰徳について考えてみたい。
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「金持商人一枚起請文」 中井源左衛門
中井源左衛門(享保元年・1716年~文化2年・1805年)は、晩年になり新年を迎える度に「起請文」を書いた。神・仏に対する誓いの言葉である。このような考えで商いに励むので、神様・仏様力を貸して下さいという願いを込めた、今で言えば新年度の経営方針である。
最晩年の起請文は「金持商人一枚起請文」と呼ばれているが、源左衛門が書いたことは次のようなことであった。
「一、世間では『金を溜める人は、運がいいからで、金が溜まらないのは自分に運がないからだ』と言うが、それは愚かで大きな誤りだ。運などというのは無いのだ。金持ちになろうと思うなら、酒宴や遊興、贅沢をやめて長生きを心掛け、始末第一に商いに励むより方法はない。他に欲深いことを考えると、先祖の慈悲にも、天地自然の道理にもはずれることになる。ただし始末とけち(原文では「しわき」)とは違う。無知な人は、これを同じように考えているが、けちの光はすぐに消えてしまうが、始末の光は現世の極楽浄土を照らすものだ。
二、これを心得て実行する人が、五万、十万の大金ができることは疑いない。ただし、国の長者と呼ばれるようになるには、運も必要で、一代でなれるものではない。二代、三代と続き、善人が生まれて、はじめて長者と呼ばれる家になる。そのためには、陰徳・善事を積むことより方法はない。のちの子孫の奢りを防ぐために書した」
幼くして両親を失った中井源左衛門が、その時代を代表する豪商になり、中井家が何代にもわたり隆盛を続けることができたのは、このような心掛けで商いに励み、生きたからであった。