利だけを追う商いを強く戒めているのは、三井高利の長男・三井高平である。隠居後、宗竺と称し「宗竺遺書」を残したが、越後屋の繁盛している理由を、
「現金掛値なしの商いをしているが、お客様が私どもの店は正直だということで買って下さり、日を追うごとに繁盛していくのはありがたいことだ。これは品物を安く仕入れ、利を薄くして売る商いをしているからである。
それを店の支配人が考え違いをして、もっと高くしても売れるのではないかと、理に適わない値段をつけることは、絶対にしてはいけない。
そんなことをしたら、店は潰れてしまうと思って欲しい。商いはあくまでも誠実にすること。こちらの心掛けが悪ければ、店が衰退していくのは当然のことだ。本当に怖いことだ」三井高平(宗竺遺書)
と、記している。
伊勢松坂の高利が江戸に進出し、越後屋を開店したのは、五十二才の時である。間口九尺の小さな店を、わずか二十数年で「富士山と並ぶほど有名だ」という大店にした。
越後屋が、いかに繁盛していたかを示す川柳に、
「駿河町畳の上の人通り」
「商人も日本一も駿河町」
がある。駿河町とは、越後屋の店のある町名である。「駿河町」は「越後屋」の代名詞として、江戸の人々に親しまれていたのだ。 ただ、商売に成功したというのではなく、当時の流行作家・井原西鶴は、「大商人の手本である」と絶賛したが、その哲学は誠実な商いにあった。
越後屋が、日本一の大店になったのは、金儲けを追求したからではない。儲けだけを追う商いは、店を潰すと戒めているのである。
最後に、三井高平の「宗竺遺書」からの一節を紹介したい。
「商人は普段の心掛けが悪ければ、他の店に商いを奪われてしまう。これは戦いの原則だ。長い間、弛まずに商売に励み、一族を養い家の中を治め、家業を怠らなければ、その家は栄えるものだ」
「商売は的のようなものだ。ちゃんと準備し、体制を整えれば当たらないということはない。商売には、これが限界だということはない。よく働けば繁盛し、やり方が悪ければ商売は駄目になる」
近江商人は、始末して勤勉に働くだけではなく、「売り手よし、買い手よし、世間によし」の「三方よし」で商いに励み、陰徳を積んだ。これこそが、お客様の満足を追求することにより企業の永続的発展を目ざす「顧客満足(CS)経営」の源流であり、世界に誇ることのできるビジネスモデルである。

