商売に限界はない。よく働けば繁盛し、やり方が悪ければ駄目になる(三井高平「宗竺居士家訓」)

・越後屋は、使用人が地方の呉服屋を行商して歩く「諸国商人売り」で、商いの基盤をつくった。卸売であり、利は薄かったが、呉服屋が相手だから品物の動きがいいから、利益の額は大きかった。高利は「諸国商人売り」で「薄利多売」商法のコツを掴んだ。

・次に打ち出したのが、「店先(たなさき)売」である。店に品物を並べて売るという、今では当たり前の商法なのだが、当時の老舗の呉服屋は、お客様の屋敷を訪ねて品物を売る「屋敷売り」や、注文を聞き後で品物を届ける「見世物商い」を行っていた。つまり、訪問販売である。

・呉服物は江戸時代でも高級品であった。だから、販売の対象も武士や一部の金持ちに限られており、「屋敷売り」や「見 世物商い」という、百貨店の外商のような商いをしていたのだ。

・このような商いなら、間違いがないと思うのだが、江戸時代の勘定の決済はお盆と暮れの節季払いである。つまり、掛け売りである。品物の代金がきちんと回収できるかどうかは分からないから、品物の値段は、呉服屋が相手を見て決めていた。リスクヘッジのためである。

・なにしろ、江戸時代は「士農工商」の時代である。五代将軍・綱吉にも進講した荻生徂徠は「政談」のなかで、「本を重んじ、末を押さえると言うことは、昔からの優れた人の教えである」と述べ、「本」は農であり「末」は工商」である。 商人や店がどうなろうと気にすることはない、これが世の中を治める原則であると断言している。

・だから、武士が呉服屋から品物を買っても、金がないから支払いはできないーといったことは決して珍しくなかった。余談だが、今も政府・自治体の予算配分などを見ると、依然として「士農工商」の思想が根強く残っていることが分かる。

・そのような時代に、越後屋は呉服物を店に並べて販売をする「店先売」を打ち出した。と言っても、これは越後屋が開発した業態ではない。下町では、このような商売が行われていたのだが、日本橋界隈の老舗はこのような商いは暖簾に傷がつくと考えていたのだ。

・しかし、庶民にとっては店でさまざまな品物を見て選ぶことができるのだから便利だった。しかも、高利は開店に当たり式目(店の規則)を定め、「お客様をだますような商いをしては絶対にいけない。そのようなことをすれば、店はたちまち潰れてしまうものだ」と支配人に厳しく伝えている。

・越後屋の「店先売」商法は、たちまち評判となった。それは、お客様の立場に立ち、これまでの業界のしきたりに囚われない商法の勝利でもあった。

・高利の長男・高平は「宗竺居士家訓」で、「商売に限界はない。よく働けば繁盛し、やり方が悪ければ駄目になる」と語っているが、越後屋はさらに画期的な商法を打ち出した。

(次回に続く)




顧客満足経営
近江商人は、始末して勤勉に働くだけではなく、「売り手よし、買い手よし、世間によし」の「三方よし」で商いに励み、陰徳を積んだ。これこそが、お客様の満足を追求することにより企業の永続的発展を目ざす「顧客満足(CS)経営」の源流であり、世界に誇ることのできるビジネスモデルである。

CS(顧客満足)経営をテーマに企業・地方自治体で指導。現在は、(社)日本経営協会専任講師、千葉県生涯大学校・統括講師として活動。著書は「先進11社にみる顧客満足経営」「江戸商人の経営哲学」など。

近江商人に学ぶ
「長者に二代なし」と言われた江戸時代、その多くは一代で没落した。その一方で、老舗として何代も続いた店も少なくない。なぜ、そのような違いがでたのか。金儲けがうまかったからなのか、それとも金儲けのためには手段を選ばなかったのか。
その疑問を解いてくれるのが、江戸時代の豪商である。なかでも、伊勢商人とならび称された近江商人の生き方は、私たちに大きな示唆を与えてくれる。