高島屋は、天保2年(1831年)、京都烏丸通り松原上ル薬師前町西側で「たかしまや」として開店した。
創業者・飯田新七(1803年~1874年)は、創業に当たり、
一、正札
二、正道
三、平等の待遇
の三カ条を店の掟として定めた。
この掟は、第一義 確実なる品を廉価にて販売し、自他の利益を図るべし
第二義 正札掛値なし
第三義 商品の良否は、明らかに之を顧客に告げ、一点の虚偽あるべからず
第四義 顧客の待遇を平等にし、苟も貧富貴賤に衣りて差等を附すべからず
の「四つの綱領」として成文化され、いまも高島屋の店是として受け継がれている。
二代目・飯田新七は、「世間はいざ知らず、我店で取り扱う商品は、堅牢確実なものを売らんと決心し、染に織に十分な吟味を加え、もって客を欺かず、薄利に甘んじ、客を利し、併せて我も利し、いわゆる自利利他は古来の家風なり」と書き残している。
元治元年(1864年)、「蛤御門の変」で、京都は御所を中心に火の海と化し、民家28000戸が焼けた。市中の土蔵は1207戸も焼失。「どんどん焼け」と呼ばれた大火である。「たかしまや」の蔵は、風呂桶と四斗樽に水を張るなどの工夫により残った。
この時とばかり、阿漕な商売で儲けようとした店があった中で、「たかしまや」はどざくさに紛れて儲ける商いをしなかった。いくらでも儲けることができたのに、「たかしまや」は織屋・染屋と盟約を結び、いい品を安く売った。
そのことで、店の評判は一気に高まった。目先の利益を追うのではなく、お客様本位に徹したことが、「たかしまや」を大きく飛躍させた。
「自利利他は古来の家風なり」と二代目・新七が書いたのは、このことを踏まえてのことである。
なお、初代・飯田新七は敦賀、二代目は京都の生れである。屋号は、初代・新七が養子となった先が、近江・高島の出身で米屋「高島屋」を営んでいたことに由来する。
近江商人は、始末して勤勉に働くだけではなく、「売り手よし、買い手よし、世間によし」の「三方よし」で商いに励み、陰徳を積んだ。これこそが、お客様の満足を追求することにより企業の永続的発展を目ざす「顧客満足(CS)経営」の源流であり、世界に誇ることのできるビジネスモデルである。

