松居遊見は、明和7年(1770年)近江国神崎郡位田村(五個荘)に生まれ、25歳で三代目当主・久左衛門を襲名した。遊見は法名。屋号は「星久」。
「出精専一之事、無事是貴人、一心、端心、正直、勤行、陰徳、不奢不貧是大黒」の家訓で知られる松居久右衛門の分家である。
位田村の庄屋が書いた記録によると、遊見は生涯絹布はまとわず、木綿や麻布の粗末なもので通した。外出、あるいは慶弔の集まりにも新しい木綿綿は着るが、絹布は着ない。煙草入れの緒は藁縄を用い、外出の時には雨でも草鞋を履き、雪駄や下駄は履かなかった。
「人は三度の食事と風雨寒暑をしのぐに不自由なければそれで十分だ」というのが、遊見の生き方であった。旅に出ても宿に着くと主人に藁をもらい、明日の旅のために草鞋をつくってから寝た。
家にいるときは早朝、村の神社や寺を一巡し、道に藁屑や古草履が落ちていれば田へ入れて肥料にし、木切れや枯柴を見つけると、拾い集めて風呂のたきつけにし、紙屑はメモ用紙として使ったという。
「奢れる者かならず久しからず」の言葉を、自分の肖像画に大書して家訓とした。「しまつ」と「けち」とは違うと中井源左衛門は、「金持商人一枚起請文」で強調しているが、遊見は使うべき時には思い切って金を使った。 天保の大飢饉や東本願寺焼失、京都御所焼失では、それぞれ数百両を寄付。凶作で年貢を払うことのできない者がいれば、そっと代納するなど慈善行為には惜しまずに金を使った。
また、後進の有能な湖東商人には資金援助を行うなど、「エンジェル」の先駆けとも言うべき人物でもあった。
顧客満足経営
近江商人は、始末して勤勉に働くだけではなく、「売り手よし、買い手よし、世間によし」の「三方よし」で商いに励み、陰徳を積んだ。これこそが、お客様の満足を追求することにより企業の永続的発展を目ざす「顧客満足(CS)経営」の源流であり、世界に誇ることのできるビジネスモデルである。
近江商人は、始末して勤勉に働くだけではなく、「売り手よし、買い手よし、世間によし」の「三方よし」で商いに励み、陰徳を積んだ。これこそが、お客様の満足を追求することにより企業の永続的発展を目ざす「顧客満足(CS)経営」の源流であり、世界に誇ることのできるビジネスモデルである。

