「奢れる者かならず久しからず」 松居遊見

 松居遊見は、明和7年(1770年)近江国神崎郡位田村(五個荘)に生まれ、幼名を久三郎と言った。文化6年(1809年)、父の死により久左衛門を襲名、25歳で三代目当主となった。遊見は法名である。

 「出精専一之事、無事是貴人、一心、端心、正直、勤行、陰徳、不奢不貧是大黒」の家訓で知られる松居久右衛門の分家である。
 農業を手伝うかたわら、関東に行商に出て、江戸、京都に店を出す。紅花、生糸、絹布は信濃、武蔵、奥羽から仕入れ、近江、京都、名古屋、大阪、丹後で販売した。
 屋号は「星久」。商号は、天秤棒を左右に星をあしらった勤勉の精神を表現したものである。

 遊見とは、どんな人物だったか。文政6年(1823年)、位田村の庄屋が書いた興味深い書き物がある。
 「第一国恩、或いは農業を大切に相守り、家に籠り在り候時は親子とも、下男同様に耕作も相勤め、衣服食聊も奢侈仕らず、平生は勿論或いは其外旅行中も、木綿着物夏中は太布帷子を着し、倹約を重とし質素の人に御座候」
 一生涯絹布はまとわず、木綿や麻布の粗末なもので通した。外出、あるいは慶弔の集合にも新しい木綿綿は着るが、絹布は着ない。煙草入れの緒は藁縄を用い、外出の時には雨でも草鞋を履き、雪駄や下駄は履かなかった。

 「人は三度の食事と風雨寒暑をしのぐに不自由なければそれで十分だ」というのが、遊見の哲学であり、生き方であった。旅に出ても宿に着くと主人に藁をもらい、明日の旅のために草鞋をつくってから寝たという。
 また、家にいるときは早朝、村の神社や寺を一巡し、道に藁屑や古草履が落ちていれば田へ入れて肥料にし、木切れや枯柴を見つけると、拾い集めて風呂のたきつけにし、紙屑はメモ用紙として使ったという、一生を質素な生活を貫き通した人物である。

 「奢れる者かならず久しからず」

 この言葉を、自分の肖像画に大書して遺訓とし、「勤勉、倹約」を励行したが、それは近江商人の「しまつして、きばる」という人生哲学そのものであった。
 「三方よし」で、商売相手の利益を優先して考えるために利が薄かったから、利益をあげるためには、他人の嫌がる苦労も進んで 「きばる」必要があった。こんな逸話がある。

 遊見が、自ら天秤棒を担いで行商に出て、中山道を歩いていた時、連れの人が「このあたりは険しい峠で難儀なことです。これさえなければ行商も楽なんですがね」と言った。
 すると、遊見は「いやいや自分はそうは思いません。こんな峠が十も二十もあればと思います」と答えた。怪訝な顔をしている連れに、「山道が険しくて難所が多ければ多いほど人は来ません。人の行かない所へ行ってこそ金が儲かるというものです」と言ったと。

 「しまつ」は、目先だけで見て判断するのではなく、長期的にみて経済の合理性を求めることで、「けち」とは違うことを中井源左衛門は、「金持商人一枚起請文」で強調しているが、遊見は使うべき時には思い切って金を使った。

 天保の大飢饉や東本願寺焼失、京都御所焼失では、それぞれ数百両を寄付している。また、凶作で年貢を払うことのできない者がいれば、そっと代納するなどの慈善行為には惜しまずに金を使った。

 取引先の両替商が、取り付け騒ぎにあった時のことである。遊見は店頭で、「預金が必要なら私が責任をもって支払うから、すぐに必要でない人はこのまま預けて欲しい」と説得した。取り付け人も遊見の言葉を聞き、安心して帰り、両替商も救われた。

 その一方で、五個荘の小杉五郎右衛門が、金沢藩の棄捐令に会い代金が回収不能になった時、遊見は「失望落胆するなら、早く死ね」と言ったという。五郎右衛門は腹を立て、「よし、損失の倍以上利益を挙げてやる」と言って奮起し、成功したという。人生の機微を心得て、人を見て救済の方法を変えていたことが分かる。

 このように松居遊見は、贅沢とは無縁な質素な生活をしながら、後進の有能な湖東商人には資金援助を行うなどベンチャーキャピタル、エンジェルの先駆けとも言うべき存在でもあった。亡くなったのは、安政2年(1855年)。86才であった。

 遊見も、上州などの大名に金を貸しているが、しっかりと回収できる手立てを取っている。名目貸しという方法である。大名に貸した金が踏み倒され、そのために倒産した豪商が多いことは「町人考見録」で見た通りだが、徳川御三家や有力社寺の御用使途金の名目で貸す方式である。

 社寺の祠堂金、勤化金などの貸し付けが保証されていたのに目をつけて、寺に名目料をはらって有名な社寺の名で貸し付け、回収を確保するという方法である。
 
松居遊見(1770~1855)

豪商で知られる遊見だが、表向きは農民の身分で商いは農業の余業としていた。衣食住は極めて質素、陰徳を積むことのみを喜びとしたという。

資料 近江商人博物館   




顧客満足経営
近江商人は、始末して勤勉に働くだけではなく、「売り手よし、買い手よし、世間によし」の「三方よし」で商いに励み、陰徳を積んだ。これこそが、お客様の満足を追求することにより企業の永続的発展を目ざす「顧客満足(CS)経営」の源流であり、世界に誇ることのできるビジネスモデルである。

CS(顧客満足)経営をテーマに企業・地方自治体で指導。現在は、(社)日本経営協会専任講師、千葉県生涯大学校・統括講師として活動。著書は「先進11社にみる顧客満足経営」「江戸商人の経営哲学」など。

近江商人に学ぶ
「長者に二代なし」と言われた江戸時代、その多くは一代で没落した。その一方で、老舗として何代も続いた店も少なくない。なぜ、そのような違いがでたのか。金儲けがうまかったからなのか、それとも金儲けのためには手段を選ばなかったのか。
その疑問を解いてくれるのが、江戸時代の豪商である。なかでも、伊勢商人とならび称された近江商人の生き方は、私たちに大きな示唆を与えてくれる。