最初から手広く商いをしていた訳ではない 若狭屋太郎兵衛 掟書

 若狭屋太郎兵衛は、大阪で薬種屋と墨屋を営んでいた豪商である。初代・太郎兵衛は、20才の時に市内の南九宝寺町に薬屋を開き、31才で家屋敷を構え、手代下人を使うようになり、墨屋を兼業するようになった。

 この掟書は、太郎兵衛が安永2年(1773年)に後継者に伝えるべく記したものであり、タイトルの「最初から手広く商いをしていた訳ではない」の言葉は、家訓の冒頭札に書かれている。
      
 そこには、「墨の商いは、わが先祖より大切な家業として子孫に相続され、このように続いている。しかし、先祖が最初から手広く商いをしてきた訳ではない。はじめの頃は、僅かな資金で開業し、さまざまな人の世話になり、繁盛するようになったのだ。

 それなのに、子孫の代になり繁盛してくると、この商売は体が黒くなるだの、職人を手配して使うのが面倒だの、またはこの商いにあきたなどというのは勿体ないことであり、神仏のご加護を失うことになるから、慎まなければならない。特に、奢りを慎むこと」
 とある。

 続いて、「覚え」の項目には、
一、幕府の法令は厳守すること
一、金銀銭をみだりに使わないこと
一、掛け商いをみだりにしないこと
一、博打や賭事をしないこと
一、金・米・薬種その他、何によらず、不誠実な商売は決してしないこと 
付則 麝香・竜脳その他の薬種で、無銘のものは一切買わないこと
一、当家の相続の人は、たとえ長男であっても、家を代表する重要な立場にあるのだから、家業である墨商売に精を出さなかったり、親不孝であったり、身持ちが悪かったりしたら、家中でご相談の上、名前を変え、隠居させること。
ただし、隠居の生活費は銀何匁ずつと決めること。
一、当主の名前(ここでは若狭屋太郎兵衛)は、ご一家中でご相談の上、実直な人に名前をつけること。
右のことをご先祖から聞かされたので、私が死んだ後も本家相続のことは大切に守ること。 

 と続く。さらに「追記」として、
一、定まった仕入先以外からの流れ者の品は買わないこと。
 付則 身元の分からない者からの買い物は、いっさいしてはならない。相場より格別に安い品物に手を出してはいけない。
 と書かれている。

 この掟書の特徴は、「長者に二代なし」とか「親苦、子楽、孫乞食」と言われた時代に、店の暖簾を繋いでいくための後継者選びに当たり、しっかりとルールを定め、その心構えを強調していることである。

 創業の時は、殆どの人がゼロからのスタートである。その時には、多くの方にお世話になった筈である。だが、二代目・三代目となると、創業の時に世話になった人のことや苦労を知らない。

 戦後創業した企業や店の多くは、いま世代交替の時を迎えている。21世紀を目の前にして、これからも繁栄を続けていくことができるかどうかは、その後継者にかかっている。 

 国際化・情報化・高学歴社会の中で、後継者は知識や情報は十分に身につけている。それなのに、失敗しているのは感謝の心を忘れているからではないか。
 若狭屋太郎兵衛が訴えていることは、現代においても決して色褪せてはない。


若狭屋太郎兵衛(生没年不肖、江戸中期の人)

先祖代々、墨屋を家業としてきたが、それを一気に大店にまで成長させたのは太郎兵衛の功績。20才のとき、大阪・南久宝寺町に薬種屋を開いたのが事実上の創業といっていいだろう。後に、薬種と墨を商うようになった。1773年に記された「掟書」から、その堅実で奢らない経営姿勢の一端を垣間見ることができる。




顧客満足経営
近江商人は、始末して勤勉に働くだけではなく、「売り手よし、買い手よし、世間によし」の「三方よし」で商いに励み、陰徳を積んだ。これこそが、お客様の満足を追求することにより企業の永続的発展を目ざす「顧客満足(CS)経営」の源流であり、世界に誇ることのできるビジネスモデルである。

CS(顧客満足)経営をテーマに企業・地方自治体で指導。現在は、(社)日本経営協会専任講師、千葉県生涯大学校・統括講師として活動。著書は「先進11社にみる顧客満足経営」「江戸商人の経営哲学」など。

近江商人に学ぶ
「長者に二代なし」と言われた江戸時代、その多くは一代で没落した。その一方で、老舗として何代も続いた店も少なくない。なぜ、そのような違いがでたのか。金儲けがうまかったからなのか、それとも金儲けのためには手段を選ばなかったのか。
その疑問を解いてくれるのが、江戸時代の豪商である。なかでも、伊勢商人とならび称された近江商人の生き方は、私たちに大きな示唆を与えてくれる。