江戸時代、上方では、醸造・海運の鴻池、製銅の住友、呉服の三井が「三大豪福者」と謳われた。なかでも「駿河町両店(越後屋)は、実に日本国一番の商人。これに続く二、三番はない」と称されたのが、越後屋である。
その繁盛ぶりは、「世事見聞録」に、「大店三カ所を持ち、千余人の手代を使い、一日に金二千両の商いがあればお祝いをするという。二千両の金は、米五千俵の値である。五千俵の米は、五千人の百姓が一カ年苦しんで納める量である。それを畳の上にいて楽々と一日で取るのである」とあるように、桁外れであった。
「長者に二代なし」と言われた時代に、越後屋がなぜ発展を続け、老舗としての座を確立したのか。その謎を解明する手掛かりが三井家に伝わる「町人考見録」にある。
これは、三井総本家の三代目・高房が、父である二代目・高平の見聞した町人の盛衰の様子を、教訓の書として著したものである。
そこには、「京・江戸・大坂の町人は、その先祖の代には田舎の町人から、または他家の手代から立身して商売に励み、子孫に財産を残すために一生のあいだ倹約し、家業以外のことには関心を持たず、大変な苦労をして子供に家を継がせたものである。
その子供の代には、まだ親の倹約ぶりを見習い、家もさほど豊かではない時に育っているので、一代の間は家業を守って商売に励むのだが、その子孫の代になると、そうはいかなくなる。
その代になると家が富み栄えている時に育っているので、苦労や金銀の大切さを知らず、世間の風潮ばかりを見習って思い上がり、家業は人任せにして月日を過ごすから、家計の出費が増えていくばかりである。年をとって、ようやく気がついても家業のやり方も分からず、支出が増えていくのに追われて、他人の金銀を借り受け、次第に利息に縛られて、ついには家を潰すのが、世の習わしである」と京都・江戸・大阪の55の店の盛衰のさまが具体的に書かれている。
その多くは大名貸しにより破産した事例であり、大名貸しを戒めているのだが、もう一つ戒めているのが「奢り」である。糸屋十右衛門の項では、「そもそも奢りには二つがある。身の奢りと心の奢りである。大抵の場合、人は心の奢りから身を華美に飾りたてたくなるものである。この十右衛門などは身は言うまでもなく、心まで大いに奢って、このような振る舞いに及んだのは恐るべきことである。奢りによって、為政者は国を滅ぼし、庶民は身を滅す」と書いている。
いま、「町人考見録」に注目したいのは、21世紀を目の前にして戦後創業した多くの企業・商店が創業者から二代目・三代目へとバトンタッチの節目の時を迎えているからである。
バブルの崩壊、IT革命など、世の中が想像を超えるスピードとスケールの大きさで変わりつつあることが、経営を難しいものにしていることは言うまでもない。
と同時に、「町人考見録」で指摘していることが現代においても、経営危機の要因になっているのではないか。
三井高房(1684~1748)
三井総領家の三代。後に剃髪して宗清を名乗った。高利・高平が築いた三井家の繁栄を。高房は制度の整備、新規事業への進出などで発展させた。また、父・高平の見聞をまとめた「町人考見録」は、当時の商業事情を後世に伝える貴重な資料となっている。
近江商人は、始末して勤勉に働くだけではなく、「売り手よし、買い手よし、世間によし」の「三方よし」で商いに励み、陰徳を積んだ。これこそが、お客様の満足を追求することにより企業の永続的発展を目ざす「顧客満足(CS)経営」の源流であり、世界に誇ることのできるビジネスモデルである。

